いちごのグラスは
100円ショップにまだ普通に売られていた
なのにスペアを買い足さずに
大切にしていたハチの気持ちを思うと
覚えのない左頬の傷が酷く痛んだ
なるべく早く帰るから
それまで一人でいられるか
鍵かけて行くから
誰か来ても出るなよ
ごめんねヤス…
いきなり電話して…
他に…
頼れる人が思いつかなくて…
あたし…
レコーディング逃げて来ちゃって…
タクミが…
結婚するって言い出して…
とても歌う気になれなくて…
でも どこへ行けばいいか分からないの…
どこに行っても みんなに見張られてる気がして…
怖いよ…
レコーディング…
逃げ出したなんて知られたら…
きっとみんなに呆れられる…
スタッフにも… ファンにも…
レイラは もう駄目だって見放される…
でも 歌えないよ… どうしよう…
あたしは歌っていないと価値がないのに…
そんなに仕事が大事なら
レコーディング前に歌姫を動揺させるような事言うなよ
プロ根性 試すには鬼コーチすぎるぞ
何の事だか
すっとぼけるなよ
レイラはおまえにホレてんだよ
サクっと言うな!
長年すっとぼけて来た おれの努力が水の泡だ!
気づかねぇフリしてる事態じゃねえぞ
おまえが結婚なんかしたら
レイラは歌えなくなるんじゃねえか?
おれの結婚ごときで歌えなくなるようじゃ困るんだよ…
おれはあいつに恋愛感情は持てねぇんだ
しょーがねえだろ…
まあ確かに それはしょーがねえけど
レイラが歌わなきゃ トラネスは終わりだぞ
おかしな話だよな
なんで城がデカくなる程
窮屈になるんだ
いつの間にか可愛い妹を高い塔のてっぺんに閉じ込めちまったよ
愛してもやれねえのに
おれの人生
最大の罪だ
でも あいつは歌うしか能がねえ世間知らずだし
おれだって今更引き返せねえし
せめて塔をよじ登ってでも抱きしめてくれる王子様がいりゃいーんだけどね
悪いな
忙しいのに 迷惑かけて
これでまた
おれはレイラに憎まれるよ
でも歌ってなければ価値がないなんて
あんなセリフが聞きたくて
あいつと別れたわけじゃねえ
いいかげん なんとかしてやれ
そう思うなら
おまえが なんとかしてやれよ
憎まれ役はおれの専売特許だ
タクミは…
あたしを見放したんだよ…
仕事投げ出すようなボーカルはいらないんだよ
お願い!
あたしから歌う場所まで奪わないで!
あたしには歌しかないんだから…
あいつにとっておれって…
そんなに頼りない存在だったのかな…
あんたは…
頼りなくなんかないよ ノブ…
女にふられたくらいでいじけるなよ…
どこまで 追い詰めれば気が済むんだ
何の事だか
せめて後ろでギター弾かせてよ
抱きしめてやるわけにゃいかねえしな
あのさ ハチ
あたしがトラネスに敵対心を持っていたのは
女としてよりボーカリストとして
レンの心を奪うレイラがうらやましかったからで
レンを見返したかっただけで
別に敵に回したかったわけじゃない
だけど あんたを奪われた あの日から
打ち負かさずにはいられなくなったんだ
どうしても
奪い返したかった
「歌っていないと価値がない」
そんな風に思わせてしまったタクミの罪は重い。
でもそのことはタクミが一番よく分かってる。
幼なじみって近いようで、本当はすごく遠い存在なのかもしれない。
タクミにとってレイラが大切な存在であることは明白なのに、
レイラの欲しい愛情とは種類が違う。
常に一緒にいるのは子供の頃から変わってないのにね。